葬儀や告別式の後の弔事のことを今までは、
法事と呼んでいました。
でもふと、
「初七日法事とは呼ばずに、
初七日法要とか四十九日法要、
一周忌法要って呼ぶな〜」
なんて事も思いました。
呼び方が違うだけで意味は同じなのか?
それとも違う意味なのか?
そんな疑問が湧いてきたので、
調べてみました。
法事と法要の違いとは?
簡単にまとめると、
「葬儀・告別式後に故人を供養する「追善供養」を法要」
「その後の会食まで含むものを法事」
と言います。
なお、この会食のことを「お斎(おとき)」と言います。
また、追善供養とは、
生きている者が亡くなったかたを供養する事。
仏壇に手を合わせたり、お経をあげてもらったり、お供え物をしたり。
法要をすることなど、全ての供養をさします。
仏壇に手を合わせる供養は毎日できますが、
法要として追善供養を行う日は決まっています。
また、追善(供養)とは、
自分よりも先に亡くなった年長者に対しての法要を言い、
自分が生きている間に自分の死後に対しての法要や、
自分より若くして亡くなった者に対しての法要は、
逆修(ぎゃくしゅ)と言います。
法要って何??
法要とは、本来、仏教においては、
釈迦の教え(仏法)を知ること。
ですが日本では、次第に供養(追善供養)のことを指すようになり、
故人を弔う儀式になっていきました。
故人があの世で良い報いを受けられるように祈る他に、
- この人がいたから今の自分がいるんだということを再認識し、
自分自身を見つめ直す - 故人が繋いでくれたご縁(人と人との繋がり)に感謝する
という日でもあります。
浄土真宗では、
ご臨終と同時に極楽往生すると考えられており、
故人を偲び、仏法に接する日とされているそうです。
ちなみに私は、浄土宗 ^^;
身内の法事の時に、従兄が小さな子どもを連れていたんですが、
お経を聴いたり、お焼香をしたり、本来の意味である仏法に触れること、
今は良くわからないでしょうが、
家族以外の親戚に会うこともできて、
良い経験じゃないかな〜と思っています。
法要の時期や内容を知ろう
仏教では、法要を行う日が決められています。
宗派によって違いがあるかもしれませんが、
亡くなってから四十九日までを忌中(きちゅう)といい、
七日毎に忌日があります。
ちなみに忌中とは、一定の期間喪に服すこと。
昔は葬儀があった家は、四十九日までの間、
祝儀や祭りに出ることなく、家の中に閉じ籠り、
身を慎んでいました。
現在は、閉じこもるまではいきませんが、
お祝い事への出席や神社への参拝、お正月の行事を控えます。
忌明けを過ぎて、亡くなってから一年間(13か月)の喪中の間に、
お祝いごとの出席や参加はしても良くなりますが、
主催する側になるのは控えます。
また、喪中に迎えるお正月では、
お正月飾りや初詣、新年の挨拶まわりや年賀状を書くなどの、
お正月行事を控えます。
命日から100日後の百か日(百箇日)法要までを忌日法要と言い、
以降、一周忌、三回忌から三十三回忌までを年忌法要といいます。
これもまた宗派によるのかもしれませんが、
三十三回忌は弔い上げ(とむらいあげ)と言われ、
どんな人でも極楽浄土に行けると言われています。
各法要の内容ですが、
初七日は、遺族・親族・友人・知人などが参列し、
住職による読経、焼香のあと会食(お斎)をします。
最近は、葬儀当日に行われることが多いです。
二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、
四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七日(むなのか)は、
遺族のみで供養します。
七七日(なななのか)/四十九日は、
遺族・親族・友人・知人などが参列し、
忌明けの法要が盛大に行われます。
四十九日が平日の場合は、参列しやすいように、
土曜日や日曜日に行われる場合も多いです。
住職による読経、焼香のあと会食(お斎)をします。
また、本位牌を仏壇に納め、白木の位牌は菩提寺に納めます。
遺影は、仏壇の中か外に飾ります。
新しく仏壇を購入した場合は、開眼供養(仏壇開き)をします。
四十九日に納骨をすることが多いようです。
また、宗派によっては、
35日目の五七日/三十五日を忌明けとする場合もあるようです。
百か日(百箇日)は、遺族のみで供養することが多く、
四十九日と一緒に行われたり、住職による読経や焼香は省略されることもあります。
満1年目にあたる一周忌は、
四十九日同様の規模で行われる事が多いです。
この日をもって喪が明けます。
遺族・親族・友人・知人が参列するのは、
満2年目にあたる三回忌までが多く、
満6年目にあたる七回忌からは、
遺族・親族のみと徐々に規模を縮小されていきます。
まとめ
母は、我が家の仏壇とは別に、
母方の祖父母や親戚、母の友人のお子さまなどの写真を飾り、
お供え物が置けるようにして、
同じように毎日手を合わせています。
わたしも毎日一度は、仏壇に手を合わせるようにしています。
そのように身につけてくれた母に、
改めて感謝したいと思いました。
わたし自身は特に信心深いということはありませんし、
手を合わせたからといって、何かがあるわけでもありません。
ただ、先祖や先人たちのおかげで、今わたしが存在しているということ。
この事には感謝するべきじゃないかな〜と思って、
これからも手を合わせようと思ってます。
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